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東京高等裁判所 昭和31年(う)557号 判決 1958年10月31日

本籍

山形県西置賜郡

住所

東京都北区

医師

甲野乙男

明治三七年三月一六日生

右の者に対する準強姦同未遂被告事件について、昭和三〇年一一月二八日東京地方裁判所が言い渡した有罪判決に対し原審弁護人より亀島正義、同蒔田太郎より適法な控訴の申立があつたので、当裁判所は次のとおり判決する。

主文

原判決を破棄する。

被告人を懲役一年六月に処する。

原審の未決勾留日数中六〇日を右本刑に算入する。

訴訟費用中原審及び当審証人佐藤昭子、同高山鉄五郎、原審証人佐藤昭二、同高橋ツヤ、同西村マツノに各支給したる分を除きその余の原審及び当審の訴訟費用は全部被告人の負担とする。

本件公訴事実中被告人が昭和二八年八月一〇日同人の肩書居宅において佐藤昭子を姦淫せんとし同女に気付かれてその目的を遂げなかつたとの点については公訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣旨は、弁護人長野国助、同渡辺卓郎、同今村滋、同松井康浩、同蒔田太郎提出の控訴趣意書及び補充申立書並びに被告人提出の控訴趣意書記載のとおりであるから、ここに、これを引用し、これに対し当裁判所は次のように判断する。

第一  弁護人の論旨に対する判断。

論旨第二点の一について。

所論にかんがみ記録を精査するに、原判決挙示の証拠中に被告人が原判示日時場所において原判示処置台の横棧に上つたという直接の証拠のないことは所論のとおりである。而して原審の検証調書によれば、該処置台の構造、高さ、被告人の身長等から考察するときは、仮りに被告人が床上に爪立つたとしても処置台上に仰臥する患者と性交をすることは到底不可能であることが認められ、当審鑑定人篠田糺、同長谷川敏雄の鑑定の結果によるもこれと同一の結論に到達する。果して然らば本件犯罪行為が成立するためには、被告人が先づ右処置台の横棧に上ることが不可欠の前提条件となることが明らかである。弁護人は本件処置台の構造及び診療時の状況から見て、被告人が横棧に上る動作は飯塚くら子が当然気付かねばならない動作であつて、同人がこれに気付かなかつたとすれば、被告人は全然横棧に上つていなかつたのであると主張するが、前記処置台の構造や被告人が小柄であることや患者は医師が何処に上つて治療するかということに余り関心がないと思われる点等からすれば、必ず患者はそれに気付かねばならぬということはできない。また、弁護人は右横棧から被告人が下りる動作は、飯塚くら子が当然気付かねばならぬ筈であり、同人は夫婦生活のような感じを受けている最中いきなり身体を起したのであるから、被告人は当然横棧上にあつて飯塚くら子の両股の間に密着していたわけで横棧から七寸も下りるのに気付かなかつたとすれば当然横棧に上つていなかつたことになるというが、始終相手の態度を注視警戒していたであろう被告人が情勢に危険を感じ逸早く横棧からわずか二〇糎を降下した場合、瞑目していた相手方がその降下の姿勢を瞬間的に精確に認識することができなかつたとしてもそれは経験則に反するものではない。

なお、弁護人は原審は先づ姦淫の事実を認定し、この認定から逆に被告人が横棧に上つたと推定したとすれば、理由不備又は理由のくいちがいがあるというが、原判決挙示の証拠を総合するときは被告人が原判示横棧に上り飯塚くら子を判示の如く姦淫した事実を認むることができるのであつて、原判決が被告人において処置台の横棧に上つたと認定したからといつて何等経験則に反することなく、記録並びに当審の事実取調の結果に徴しても右認定が誤つているとも認められない。従つて原判決には所論のような理由不備又は理由のくいちがい等の違法は存在しない。論旨は理由がない。

同第二点の二について。

同(1)A、記録を調査すると、原審証人飯塚くら子が弁護人主張のように面接回数につき供述を変更したことは認められるがそれは飯塚くら子が質問の趣旨を誤解したためであつたと認められる。

同(1)B、また飯塚くら子が原審において同人の陰部に生じた腫物及びその切開の部位について弁護人主張のように供述を変更したことが認められるが、原審証人飯塚くら子の証言は被告人の供述や原審証人青木房子の証言よりは自然であり、飯塚くら子の患部の科学的探究をまつまでもなく同人の腫物の部位は同人が後に供述したとおり陰核の上であると認められ、当審において同人の述べるように、感違いによることがあり得るところであつて、原審における同人の供述を偽証なりとし信憑性なしと断ずることはできない。

同(1)C、記録を調査すると原審証人飯塚くら子は、最初、判示犯行当時判示治療室と処置室との間のカーテンは閉められており暑かつたがその暑さより痛みの方が激しかつたと述べ、その後弁護人のかさねての質問に対し三日目の本件治療当時は傷はそんなに痛くなかつた旨及び全然痛まなかつたと述べていること所論のとおりであるが、右供述の変化は最初の質問が稍曖昧であつたので同人の理解が明瞭でなかつたところ、その後痛みの点について分析して精確に答弁したに過ぎないと認められるので、同人の供述は偽証であるということはできない。

同(1)D、記録によれば判示八月一三日に内診したか否かについて飯塚くら子の供述に変化のあることは所論のとおりであるが、原審証人飯塚くら子の後になした右十三日も内診があつた旨の供述がより自然であると認められないでもなく、その証言全体が措信できないというものでもない。

同(1)E、原審証人飯塚くら子の証言によれば、判示犯行当時被告人が支那服のような短い腰までの白衣を着用していたというのであるが、かかることは作為して供述することのできないものであり、判示のような被害を受けた場合、同人が甚大なるショックを受けたことは容易に想像し得るところであつて、後になされた供述をもつて不自然であるとすることはできない。

以上のように飯塚くら子の偽証は認められずその証言は信憑性のあること明らかであるところ、原審は原判示第二事実を認定するにつき原判決挙示の他の証拠をも採用しているのであるから飯塚くら子の証言が唯一の証拠ではないのである。而して原判決挙示の証拠を総合すると優に右事実を認定するに足り、記録並びに当審の事実取調の結果に徴しても右認定が誤つているとは認められないから原判決には所論のような理由不備又は理由のくいちがい且つ事実誤認の疑等は存しない。

同(2)A、按ずるに産婦人科医師が、陰核又はそれに関連するその附近の病変に対する場合は格別その他の場合において患者の陰核に触わることはタブーとせられていること及びそれが正当な医療行為として行われるものでないことは明らかであり、このことは当審鑑定人篠田糺、同長谷川敏雄の鑑定書によつても確認されるところであるが、そのことは善良なる医師の正当医療行為について期待せられるに過ぎず、善良ならざる医師が、かかる行為に出づることなしと断定し得るものではない。本件において飯塚くら子は看護婦として二年間の経験を有し、前に掻把手術を受け又夫婦関係の経験あることも同人の証言により窺ひ得るところではあるが同人が被告人から陰核に触わられたことに気付き、嫌な医師だと感じても、治療の必要上三日間通院したものと認められないでもない。弁護人は飯塚くら子が夫婦関係をするような感じを持つたならば人間の本能として一応目を開けてみるとか、或は自然に目が開いてしまうであろうから、その瞬間同女の眼には七寸も身長がのびた被告人が自分の両股に密着している異様な姿が飛び込んだに違いないので、身体を起して「先生何をしているんですか」など悠長なことを言つている余裕などあり得ないなどと述べ、飯塚くら子が起き上るまでに随分反省したという証言をもつて作為に過ぎ真実性を欠ぐと主張するけれども、正当なる医療行為を装つて、かかる非行に出づる医師のあることを全然予想しない善良なる女性がその非行なることを確認するまで多少の時間反省することは寧ろ自然の事態であつて、非行を確認した後、同女はその時ままで尊敬していた医師に対し「先生何をしているんですか」と突嗟に詰問抗議したことは同人の供述により認められるところであつて、まことに真実を物語るものであり、この供述が作為に過ぎるとか経験則に反するという批難は全くあたらない。また飯塚くら子が被告人に三日間陰核に触わられ腰を抱くようにして治療されたと供述したことも記録により明らかであるがこれも何等経験則に反するものではない。この点に関する当審鑑定人篠田糺、同長谷川敏雄の各鑑定書及び同人等の当審における各証言はいずれも措信しない。なお、弁護人は前記飯塚くら子が被告人の陰茎をかくした時の顛末について供述したことをもつて偽証であると主張するが、記録を調べてみてもかかる作為性は全然認められない。

同(2)B、弁護人は飯塚くら子が姦淫されたことを知つた後、大きな声を立てず続いて洗滌をして貰い代金を支払つて帰つたことをもつて完全に経験則に反し信憑性なしと批難するが、通常の女性が姦淫されたことを知つた場合、憤然として或は愕然としてその場所を立ち去ることもあろうが、原審証人飯塚くら子の供述するように、異常な体験に遭遇した同女が一時忙然となつたが他面治療行為の完了していないことに対する不安からその場を立ち去らず傷口にガーゼをつめて貰うため再び処置台に寝たところ被告人がとつさに弥縫策として洗滌行為に出でたものと認められないでもなくまた代金を支払つた点は自分ですることだけしておかないといくら正しいと思つても金を払わないではないかといわれると思いその時は理性を取戻していたので代金を支払つて皈つたというのであつて右証言に不自然の廉を発見することはできない。

同(2)C、更に弁護人は原判示処置台は鉄製の簡単な構造であり、小柄な被告人であつてもその横棧に上れば多少の震動があり、それを右台上に仰臥している女性患者が分らぬ筈はないと主張するが、被告人が右横棧に上り判示第二の犯行をなしたことは前記第二点一において既に説明したとおりであり、苟くも犯行をなさんとする場合特に穏秘且つ慎重に行動することは容易に推認し得るところ、右処置台に接して出窓があることは原審検証調書により明らかであり、患者は医師を全面的に信頼し処置台に仰臥している場合、被告人が患者より気付かれることなくして右横棧に上り得ることは可能とは認められない。このことは当審証人篠田糺の証言として、医者を信頼している場合には、多少の動揺があつても患者はそれは診療行為の一つとして考え悪いことをしているとは直ちに思わないものである旨、また同長谷川敏雄の証言として一番震動の少ない上り方は、できるだけ注意してそーつとしかも右手は窓枠に固定し身体をうかすようにして上れば上れるかも知れないとの供述によつてもいよいよ確認することができる。

また原審証人飯塚くら子の証言により明らかなように、同女の身体は前記処置台先端窪みの所から余程前方に突出していたということが認められるからその股間は十分開いていて、被告人の着衣が同女の素肌の「股」に触れないことはあり得ることであり、被害者の陰部に被告人の陰茎を直ちに没入せしめ得ることはこれを推認することができる。従つて、原審が前記飯塚くら子の証言等により右事実を認定したことは何等経験則に反するものではない。この点に関連して前記証人篠田糺の証言中に、多少の震動があつても、それは診療行為の一つの措置として動揺を感ずるので悪いことをしていると直ちに思わない人も、何かぶつかつたとすれば一寸目を開けてもよいではないかとの趣旨の供述があるが、右飯塚くら子を姦淫した場合被告人の陰茎が飯塚くら子の陰部に没入するまで同女の「股」その他に被告人の身体が触れたということは記録上認められないから同女が目を開けるのは右没入後に起り得るのに過ぎなかつたこととなり、前記篠田糺の証言は本件において原判示事実認定の妨げとなるものではない。また記録を調べてみても前記飯塚くら子が処置台の震動を感知したことを認むべき証拠はないがそれは同人が気付かなかつたのであり本件犯行も極めて短い時間であつたと認められるから、飯塚くら子の証言をとつて原判示事実を認定したことを経験則に違反するということはできない。

弁護人は飯塚くら子の陰唇を開くには種々困難があり陰茎挿入は不可能であるとか、又は被告人がかかる動作をしている間同女が一度も目を開けないことは想像できないと主張するが、判示犯行当時、飯塚くら子は相当程度の傾斜した処置台上に仰臥していたことは記録により明らかでありその際同人の身体の位置は同処置台の先端窪みの所より余程前方に突出ていて同人の股は一様に開いており、殊に同女は性交の経験があつて、その膣口は略水平となり被告人の陰茎と略同程度の高さにあり得たことも推認できない訳ではなく、内診その他によつて同女の膣が粘滑状態にあつたこともあり得るところであるから、弁護人主張のような操作をしなくとも被告人の陰茎が没入できないということはいえないし右の間被告人を信頼していた飯塚くら子が、眼を開けなかつたことは正当な治療行為と信じたためであつてこの事実は想像できないことではない。この点に関し当審証人長谷川敏雄の証言として、「桑原式処置台上に二〇度の傾斜で寝ている患者の膣は殆んど水平であろう。勃起した陰茎は垂直の身体に対し勃起の頂点では大体上向きといえるが、その状態はそう長く続かなくて水平かむしろ下向きとなり、没入目的で勃起している場合は水平より下向きはあり得ない」との旨の供述は右の結論を確実にするものであつて原審が前記飯塚くら子の証言を採用して判示姦淫の事実を認定したことは何等経験則に違反するものではない。

同(2)D、弁護人は飯塚くら子の傷口に触れないで被告人の陰茎を没入させることは不可能であるとし同人の証言を批難するが、前記説明のように飯塚くら子の腫物は陰核の上部にできたものであるから当審鑑定人篠田糺、同長谷川敏雄の各鑑定書及び意見等の当審における各証言に徴しバルトリン氏腺炎であるとは認められないから右の批難はその前提を欠ぎ採用できない。

(二)(1)(2)、同記録を調査すると原審証人青木房子の証言及び被告人の供述は措信できないところであり、原審証人飯塚くら子の証言によると原判示八月一五日の本件犯行当時同処置室には看護婦青木房子が立会つたことは認められない。また原審証人飯塚正三の証言は自然であつて、同証言と前記飯塚くら子の証言等を総合して原判示第二事実を認定したことは何等理由不備又は理由のくいちがいがあるということはできない。

同(3)、所論にかんがみ記録を調査するに、判示処置台に遮断幕がないこと、被告人の年齢、経歴、家族関係等が弁護人主張のとおりであることは明らかであるが、被告人が現住所に開業以来婦人患者が五百名以上に上つているということは確定できないが仮りに五百名以上であるとし、また、処置台で下半身を露出している婦人患者に対する医師の感覚は一般の男子のそれと異るものがあることを一応肯定するとしても、以上の条件下においては絶対に医師が婦人患者に対し情欲をかき立てられないとか姦淫することは不可能であるとか断定し得るものではなく他に麻酔薬を施用しなければ姦淫ができないものでもない。この点について当審鑑定人篠田糺は右弁護人の主張と略同様の意見を述べている(同人の鑑定書四)が、判示診療室や処置台の構造が犯行を不可能とするものとは認められないのみならず、処置台に遮断幕の存しない場合一面において医師にとつては判示のような非行を患者に発見せらるる危険があることは一応首肯できるとしても、他面において遮断幕のない場合はそれのある場合に比して患者の面貌とその性器とを結びつけて観念することによつて心理的により甚だしく医師の性的興奮をかき立てることなしとしないのであつて、犯行は発覚しないものと軽信し性的衝動にかられ犯行に陥ることなしと断定することはできない。

弁護人は患者が麻酔によつて意識を失つていない限り、医師が横棧にのぼつて姦淫の目的を遂げ、而も患者に知られずにすますことは如何に巧妙にふるまつても絶対に不可能であると主張するが、その理由のないことは前記説明のとおりである。

なお、弁護人は被告人がこのような狂気にも等しい行動をとつたと認める以上判決にはそれ相応の動機が示さるべきであるのに、本件にあつては全証拠によつてもなんらの動機が存在しないと主張するので按ずるに、本件犯罪の動機は罪となるべき事実ではないから必ずしも判決にこれを明示する要はないのであるが、原判決は犯罪事実自体によつてそれが劣情の発露による犯行であると認めていることは判文上明らかであるから準強姦罪の判示としては相当である。従つて右主張は理由がない。

以上のように原審が原判決挙示の証拠によつて判示姦淫事実を認定したことは相当であつて記録並びに当審の事実取調の結果に徴しても右認定が誤つているとは認められない。従つて原判決には所論のような理由不備や理由にくいちがい、事実誤認の疑等は一つも存在しない。論旨は理由がない。

同第三点の一について。

記録によれば原審証人深沢玉江こと大熊玉江は洗滌液の落ちる台をのせる鉄棒に被告人が乗つたと証言し、当審においては処置台の横棧の上に上つていたと供述しているが、本件処置台の構造から見て原審における右証言は同人の感違いによるものと認むるを相当とする。

而して同人は、本件犯行当時判示処置台先端の窪みの所までその臀部を出して両足を広く開いていたと認められるので、被告人が判示横棧に上るや否や弁護人の述べるように陰茎を没入させることが不可能であると断定することはできないし、この点に関する同証人の証言は所論のように実験則に反するものではなく、信憑性あること明らかである。なお、原審証人深沢茂の証言と右大熊玉江の原審における証言との間にくいちがいのあることは所論のとおりであるが、原審は右深沢茂の証言中原判決認定事実に反する部分はこれを措信しなかつたことが明らかであつてその余の供述部分と原判決挙示の他の証拠とをもつてすれば原判示第三事実を認定することができる。

同二について。

按ずるに弁護人主張のカルテ及び請求書は被告人において自由に作成することができるものであつて、これと原審証人深沢こと大熊玉江の証言とを対比するときは到底真実に合致するとは認められず右大熊玉江の証言は措信するに足るをもつてこれを採用して原判示事実を認定した原判決には所論のような採証法則の違反は存しない。また被告人が着用した白衣については原審証人三浦たまの証言は措信できないし、右大熊玉江の証言は措信することができるから原審は予断をもつて事実を誤認したということはできない。また右大熊玉江が弁護人主張の日時場所において被告人に対し一〇万円を請求したことは同人の夫に教えられて請求したまでであつて、この事実は同人の証言の信憑性に影響を及ぼすものではない。更に原判決が証拠として証人深沢茂の証言をも挙示していること弁護人所論のとおりであるが、判示事実を認定するに足る部分のみを採用したものであることは前段説明のとおりである。而して記録並びに当審の事実取調の結果に徴しても原判示第三の事実の認定が誤つているとは認められないから、原判決には所論のような採証法則違反、理由不備又は理由のくいちがい、事実誤認の疑等があるということはできない。

論旨は理由がない。

同四点(補充申立書を含む)について。

記録を調査するに、判示飯塚くら子、深沢玉江こと大熊玉江が前記処置台上において身体を拘束されていなかつたことや、いづれも精神異常者でなかつたことは明らかであるが、同人等は医師である被告人を信頼し、同人が正当な医療行為をなすものと信じ切つて右処置台上に仰臥し該処置台は遮断幕の設備のない異例のものであつたため婦女の羞恥心から施療中瞑目していたのであるから右各被害者は被告人の本件犯行当時抗拒不能の状態に陥つていたものと認むるを相当とするところ被告人はこの状態を利用したものであり本件犯行の態様から見て被告人に被害者が抗拒不能の状態に陥つていた点につき認識がなかつたものということはできない。従つて被告人に対し抗拒不能に乗じ姦淫したものと認定し刑法第一七八条を適用した原判決は相当であつて原判決には所論のような事実誤認又は同条の解釈を誤つた違法の廉は存しない。論旨は理由がない。

第二  被告人の論旨に対する判断。

(イ)  原判示第二の事実について。

甲  被告人は飯塚くら子の証言は作為性があり信憑性がないと主張するところ、

一、初対面云々の供述については、さきの弁護人の論旨第二点二(一)(1)Aにおいて示した判断を援用する。

二、飯塚くら子の腫物がバルトリン氏腺炎であると認められないことは弁護人の論旨に対し、説示したとおりであるが、なお、これに対しては同第二点二(1)B、C、(2)Dにおいて示した判断を援用する。

三、記録を調査するに、原審証人青木房子の証言は措信できないのであつて、原審証人飯塚くら子のこの点に関する供述をもつて作為に出づるものと認むべき証拠なく、その他同第二点二(二)(1)(2)において示した判断を援用する。

四、被告人は判示診察室と処置室を隔てるカーテンを閉め切れば、看護婦は助手不能となると主張するけれども、それは事実にそわざる被告人の独自の見解に過ぎず、原審証人飯塚くら子の証言は十分措信することができる。

五、及び六、被告人は飯塚くら子の腫物をバルトリン氏腺炎としているが、その然らざること前記説明のとおりであるから採用できない。なお同第二点二(2)Aにおいて示した判断を援用する。

七、原審証人飯塚くら子が所論のような供述をした事実がないことは記録に徴し明らかであるから論旨は理由がない。

八、被告人は前記バルトリン氏腺炎であることを前提としているから採用できない。なお、同第二点二(一)(1)C二において示した判断をも援用する。

九、同第二点一及び同二(一)(2)において示した判断を援用する。

一〇、及び十二 同第二点二(一)(2)Bにおいて示した判断を援用する。

一一、同第二点二(一)(1)Eにおいて示した判断を援用する。

乙  強姦の否認理由と題する点について、

一、原審証人飯塚くら子の証言が所論のような作為的なものでないことは前記説明のとおりである。

二及び三、論旨はバルトリン氏腺炎であることを前提としているなら理由がない。

四及び五、同第二点一、同第二点二(一)(1)C同(2)Cにおいて示した判断を援用する。

六、同第二点二(一)Bにおいて示した判断を援用する。

(ロ)  原判示第三の事実について。

甲  否認理由中と題する点について。

一、二、三、同第三点二において示した判断を援用する。

四、被告人主張のように原審証人深沢こと大熊玉江の証言を必然的に虚偽なりと断定すべきものはなく却つて記録によれば同人証言は措信できるからこれに反する原審証人青木房子の証言は真実を述べたものということはできない。論旨は理由がない。

五、1 所論にかんがみ記録を調査するに、原審証人深沢玉江の証言は措信することができるし、この点につき当審証人大熊玉江の証言によれば、同人は右処置台の上の臀部のかかる一杯のところまで来ていたことが認められ同人の原審における供述を一層確認することができるのであつて、論旨は理由がない。

2 原審証人深沢茂の供述中同人の妻玉江が話したという性交回数やその際模様等に関する部分で玉江の証言に反する点は措信できない。なお、この点については同第三点一において示した判断を援用する。

3 被告人は、患者が処置台を飛び下りた際、被告人は陰茎を露出したままキヨトンとして立つていたという原審証人深沢玉江の証言は常人にはあり得ない状態であると主張するが、これは寧ろ犯行を発見されたものにとつては通常起り得る自然の状態と認められないでもなく、同人の証言は措信することができるから論旨は理由がない。

六、所論にかんがみ記録を精査するに、原審における被告人の供述(記録第三冊三四七丁以下)によれば、深沢茂は玉江より強姦事実を聞知するや直ちに被告人方に赴き高圧的態度に出でたという事実が認められ、又被害者の父が娘の生活費を要求したことは当然の要求でありその他記録を調べてみても玉江の父が、玉江を被告人の使用人として使つてくれと要求した事実は認められず、却つて当審における大熊玉江及び被告人の供述によれば使用人として使つて貰いたいとは云わなかつたことが窺われるのであるから論旨は理由がない。

乙  診療と誤認する可能性について、

(イ)  飯塚くら子の場合、所論にかんがみ記録を調査するに、判示処置台には遮断幕がなく飯塚くら子は婦人科の治療を受けた経験や性交の経験があり、精神薄弱その他精神欠格者でないことは明らかであつて自由意思により瞑目していたに過ぎないこと、被告人の治療を数回受け、看護婦としての職業的経験を有し、判示治療中被告人が同女の腰を抱きその陰核を摩擦したことを知つており、また女性の陰部が生理的に身体各部の中最も鋭敏な感覚を有することはこれを認めることができるけれども、自由意思による瞑目が同女の判断力のすべてを失わしめるものではないとしても瞑目している限り目を開いている場合に比し認識判断能力が劣るものであることも明らかであり、原審証人飯塚くら子の供述によれば被告人の陰茎が没入と同時に変だと思つたので、まさか相当年輩の専門の医学博士が患者に対して姦淫の非行を為すことはないであろうという反対の考え方も起りいろいろ考えた末結局姦淫されたと感知し眼を開けたのであつて、同女がそのことを随分反省したと述べているのは長時間考えたというのではなく、その点を深刻に考えたという意味であると認められ、その時間は極めて短かつたと推認され、又、被告人は同女が姦淫されたと気付いた瞬間同女は何故に反射的にとつさに被告人に対し抗拒運動をなさつたのかと批難するが、同女が先生を何をするんですかと叫んだことは既に述べたとおりであつて、これは十分な抗拒運動と認められるし、また夫婦関係のような運動が続いていたことを認めながらなお同女が瞑目してしばらく考えていたとの証言は不可解であると主張するけれども同女の証言をしさいに検討してみると同女のいう夫婦関係の如き感じがあつたというのは、それは被告人の陰茎が同女の膣内に挿入されたというだけのことを意味するのであり当審鑑定人篠田糺、同長谷川敏雄の鑑定書に記載されているような意味の激動を意味するものとは認められない。なおこの点については弁護人の論旨第二点二(一)(2)A同第二点二(二)(3)、同第四点において示した判断を援用する。

(ロ)  深沢玉江こと大熊玉江の場合、記録を調査するに原審証人深沢こと大熊玉江の証言は十分措信できるのであつて、同人をもつて精神異常者と認むべき証跡は一つとして存在しない。また同深沢茂の証言中右大熊玉江の証言と相反する部分は措信できない。なお、同第三点の一、同第四点において示した判断を援用する。

また被告人は飯塚くら子及び大熊玉江の事件につき必ず発覚するものであるから、犯行はしないと主張するが、その理由のないことは既に弁護人の同様の論旨第二点二(二)(3)第四点において示した判断を援用する。

丙 警察官、検察官及び一審裁判官の措置に対するもの。

按ずるに一審裁判官は告訴三件という数の上に立つて原判示第二、第三事実を認定したものでないことさきに判断したとおりであり、その他は被告人の独自の見解を示すのみで、いづれも理由なく採用の限りでない。

これを要するに、記録を精査するときは、原判決挙示の証拠によれば、同判示第二、三の事実は優にこれを認めることができるのみならず当審において取り調べた証拠によるも弁護人及び被告人の主張事実を認めることができず却つて原審の認定を確実ならしむるに過ぎないのであつて、右第二、三の事実に関する論旨はいずれも理由がない。しかし職権をもつて原判示第一の佐藤昭子に対する強姦未遂被告事件につき適法な告訴があつたかどうかについて審究するに昭和二八年八月一〇日付赤羽警察署勤務警部補高山鉄五郎作成の佐藤昭子の署名押印ある告訴調書は当審証人佐藤昭子、同高山鉄五郎の各供述及び高山鉄五郎作成の上申書によれば同日付より一年以上を経過した昭和二十九年十月頃佐藤昭子の真正なる署名押印を得て作成せられたものであることが認められるけれども、高山鉄五郎が供述するように果して曩に真正に作成された告訴調書があつたかどうか、またこれが同人の手許において保管中紛失したため再製したものであるかどうかは明瞭でなく、その他被害者より法定期間内に適式の告訴がなされたことを認むべき証拠は存在しない。それ故結局該公訴事実について刑事訴訟法第三三八条第四号により公訴を棄却しなければならなかつたのに、原審は原判示第二第三事実と共に事件の実体につき審理裁判したことは同法第三七八条第二号前段に該当する違反あり右違反は判決に影響を及ぼすことが明らかであるから原判決は破棄を免れない。よつて原判示第一事実に関する弁護人及び被告人の各論旨については同法第三九七条第一項第三七八条第二号により原判決を破棄し同法第四〇〇条但書に則り当裁判所において更に判決する。

当裁判所が認めた罪となるべき事実及び証拠の標目は原判決事実摘示中深沢玉江とあるを深沢玉江こと大熊玉江と改め、証拠の標目として、飯塚くら子に対する事実につき

一  当審証人飯塚くら子の尋問調書

一  当審第七回公判調書中の同飯塚正三の供述部分

を附加し、大熊玉江に対する事実につき

一  当審証人大熊玉江の尋問調書

一  当審第七回公判調書中の同深沢茂の供述部分(但し、判示認定に反する部分を除く)

を附加し、なお右両事実につき

一  当審の検証調書

一  当審鑑定人篠田糺、同長谷川敏雄の各鑑定書

一  当審第五回公判調査中証人篠田糺、同長谷川敏雄の各供述部分。(但し、判示認定に反する部分を除く)

を附加する外、原判決摘示の冒頭事実及び同第二、第三の罪となるべき事実並びに、これに照応する原判決挙示の証拠の標目と同一(但し原審証人深沢茂の供述中右認定に反する供述部分を除く)であるから、ここに、これを引用する。

法律に照すと、被告人の飯塚くら子、大熊玉江に対する判示所為は刑法第一七八条第一七七条前段に各該当するところ、以上は同法第四五条前段の併合罪であるから同法第四七条本文第一〇条に則り犯情の重いと認むる飯塚くら子に対する罪の刑に法定の加重をなし同法第一四条の制限を施し、なお、犯情憫諒すべき点があるので同法第六六条第六八条第三号に則り酌量減軽をした刑期範囲内において被告人を徴役一年六月に処し、同法第二一条により原審の未決勾留日数中六〇日を石本刑に算入し、訴訟費用中主文第四項掲記の分は刑事訴訟法第一八一条第一項本文により全部被告人の負担とする。

なお、本件公訴事実中主文第五項記載の公訴事実については適式の告訴がないので同法第三三八条第四号に則り公訴を棄却することとする。

よつて主文のとおり判決する。

検事深井勉、堀口春蔵関与

昭和三三年一〇月三一日

東京高等裁判所第一刑事部

裁判長判事 大塚今比古

判事 本田等

判事 渡辺辰吉

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